「香港の休日」 ’00年10月5日
香港に着いたその日が中秋節という祭の日であったことなど私はまったく知りませんでした。
ですから、「明日は中秋節の次の日なので国民はお休みです」とリリーに言われた時には少し呆然としてしまいました。
店はどこもかしこもしっかりとシャッターを下ろし、車もろくに通らなくてガランとした通りの風景を私は思い浮かべていました。
けれども娘の久美子は、「まさかア、そんなことはないよ!」と私の心配などまるで気にもかけずに妙に力を込めてきっぱりと言いました。
私は何によらず悲観的な考え方をしますが、娘はいつも楽観的です。
したがって、二人の考えの中間くらいが現実に最も起こり得ることをこれまでの経験から私は知っていました。
それで、DFSギャラリアでパンダクッキーを買った時に店員の若い女性に、「明日はお休みなんですか?」と訊いてみました。
彼女は淋しそうにほほえんでから、「いいえ」とため息まじりに言いました。
ほんとにはっきりと聞こえるほどに深いため息でしたから、きっと彼女の友達や家族の人たちなどはみんな休みなのでしょう。
でも、彼女だけは明日も仕事で、そのことがよほど残念なようでした。
翌日、13日の朝ですが、遅い朝食を食べようとしてチムサーチョイの地下鉄駅に向かいました。
香港島に渡るには、橋がかかっていないので連絡船か地下鉄を使わなければなりません。
地下鉄は海底トンネルを通って行きますから料金が船よりもずっと高くて、船ならば1.7ドルで乗れるのですが地下鉄は9ドルもかかるのです。
ネイザンロードに出て見ると閉まっている店などまったく見当たらなくて、昨日とおなじようににぎわっていました。
「ニセモノアルヨ。ニセモノネ」と妙な日本語で近寄って来る男たちもそこかしこにいて、チムサーチョイ駅界隈はまるで何も変わっていませんでした。
けれども、香港島に着いてセントラル駅から外に出るとチムサーチョイでは気づかなかった光景をたびたび目にするようになりました。
駅への連絡用通路を半分ふさいでたくさんの女の人たちがたむろしていたのです。
一つのグループには7、8人から10人くらいの人たちがいて、新聞紙やボール紙を敷いた上にしゃがみこんでご飯を食べていました。
家から持って来たものらしい漬物やバナナ、ブドウなどがグループの中央に置いてありました。
そんなグループがいくつもひしめき合っていたのです。
行く先々でこのような人たちを見ました。
ビルの1階にある駐車場でたむろしている人たちもいましたし、歩道橋のらせん階段の途中で座り込んでいる人たちもいました。
男の人はまるでいなくて、子供もほとんど見ませんでした。
トランプをしている人たちもいましたし、ラジカセで音楽を流しているグループもありました。
1時間か2時間そこにいるのではなくて、朝から晩まで1日中そうしているようなのです。
つまり、ちょっと風変わりではありますけれど、これが香港の人たちの休日の過ごし方のようでした。
ピークトラムの駅から歩いて帰る途中で教会の中庭を通り抜けました。
さすがに教会の中庭でなごんでいる人はいませんでしたが、教会を出たところにある長い坂道にはたくさんの人がいました。
ご飯を食べたりトランプをしているグループもありましたが、イスを持って来ていて、そこで散髪をしている人たちが3人もいました。
なにしろ坂道の途中ですからお湯はもちろん水も無くて、ハサミで髪を切っているだけでした。
友達どうしで切ったり切られたりしているのです。
木もれ日を浴びながら実にゆったりとなごんでいるのでした。
坂道を下りながら、『香港の休日もいいな』と思いました。